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・・・ 目次 ・・・
 
♯0011
織田信長の珍陀酒
♯0010
ウォルト・ディズニー
  のホットドッグ
♯0009
バカボンのパパはレバニラ 炒めが大好物なのだ!
♯0008
ジャン・コクトーの角砂糖
♯0007
白洲次郎の
  スコッチウイスキー
♯0006
チンギス・ハーンの
  タルタルステーキ
♯0005
鴎外のまんじゅう茶漬け
♯0004
ポパイのホウレンソウ
♯0003
バルザックの生牡蠣
♯0002
魯山人の生卵かけご飯
♯0001
龍馬の軍鶏鍋
予告編
 
英雄、食を好む。  
 
彼の人の大好物は、何だったのか。なにゆえ、それを好んだのか。
その“”が、示唆するものは──。
歴史に名を刻む人物の“好”に注目!
そこには、すでに“思想”や“哲学”があった。
興味津々の好列伝。
 
 
ウォルト・ディズニーのホットドッグ
 
──ファースト・フードで、遊び続けろ!
文/戸矢 学
by Manabu Toya
 
 

■100年前にホットドッグ誕生!
 今年も、アメリカ独立記念日=Independence Day の7月4日、ニューヨーク・ブルックリンのホットドッグ店ネイサンズで、恒例のホットドッグ早食い選手権が開催された。優勝者は、日本人の小林尊(27)! 実に12分間で53個4分の3を食べて優勝したのだが、体格的にははるかに勝るマッチョたちを相手に圧倒的な強さで痛快であった。彼はこれで6連覇、しかも世界新記録をさらに更新した。
 このイベントが独立記念日におこなわれるというのは、やはりアメリカ人にとってホットドッグは象徴的な食べ物なのだろう。ホットドッグとハンバーガーこそは、アメリカが生み出した二大料理なのだ! どちらも今やファースト・フードの両雄として世界を席巻している。

 
 
Jean Cocteau
 
■日本人の小林尊が6連覇
ネイサンズHPより

 
 しかしこのファースト・フード自体はアメリカの発明ではない。ご存知の通り、イギリスのサンドウィッチ伯爵の発案になるもので、ハンバーガーもホットドッグもいわばサンドウィッチの一種である。しかし、バンズに熱々のハンバーグ・ステーキやフランクフルト・ソーセージを挟んで食べる、というのはアメリカン・オリジナルである。
 ホットドッグは、1904(明治37)年のセントルイス万博で初めて登場。誕生以来、100年を超えた。それ以前は、世界のどこにも、もちろんアメリカ合衆国にも存在しない料理であった。
 セントルイス万博で生まれたものは様々あるが、ホットドッグもその一つだ。アメリカが「アメリカらしさ」を世界に向けて発信するために、この博覧会は国力を賭けたもので、当時最先端であったアメリカの産業技術と、“ニュー・フード”には特に力を入れたようだ。たとえば全延長21km、17駅に及ぶ鉄道が会場内に敷設された。また、T型フォードやキャデラックなどの自動車160台が展示され、会場内を救急車が走る。これが100年前のことだ!──そしてニュー・フードには、「世界で初めて」の飲食物として、アイスクリームやアイスティーなどとともにホットドッグが登場。歩きながら、また順番待ちをしながら飲み食いできるファースト・フードのスタイルを、この時に打ち出した。それは、アメリカの時代が生んだスタイルで、寝る間も惜しんで働き続ける“産業勃興期”の産物なのだ。
 ディズニー・ランドの創始者、ウォルト・ディズニーは、この時3歳。しかし時代の申し子とも言うべき人物に育って行く。生涯を通じて彼の好物は、ホットドッグと鉄道で、彼がプロデュースしたすべてのディズニーランドにはこの両者が必ず存在する。ディズニーランドは、“ウォルトの夢”を体現したものなのだ。
   
 
■PTAお墨付きの良心的番組
「タフな男」──ディズニー・ランドの創始者であるウォルト・ディズニーの異称である。
熱烈なディズニー・ファンの人たちには、ちょっと意外というか、違和感があるかもしれない。テレビ番組・ディズニーアワーにも自ら登場し、インテリジェンスある風貌と語り口で、子供たちとその母親を魅了した。
 日本では1958(昭和33)年にNTVで「ディズニーランド」の放映が始まる。
 中年以上の人なら誰でも一度は見たことがあるだろう。力道山のプロレスリング中継とテレコに(隔週)金曜日、夜八時、スポンサーは三菱電機であった。
 TV番組では四つの「国(ランド)」が交互に放映された。

  未来の国(トゥモローランド)では宇宙への挑戦など人類の探求心とそれにまつわる経過をいろいろな角度から描いていた。
 おとぎの国(ファンタジアランド)はミッキー・マウスやドナルド・ダックなどディズニー・キャラクターの漫画で構成。 
 冒険の国(アドベンチャー・ランド)では『砂漠は生きている』などの中に扱われたように動物の生態記録などが多かった。
 開拓の国(フロンティアランド)は西部劇が主体で、トム・トライオンの『テキサス・ジョン・スローター』とかフェス・パーカーの『デイビー・クロケット』が中心であった。
 
  ちなみに子供だった私には「おとぎの国」が一番で、「冒険の国」だったりするとがっかりしたものだ。
 TV受像器カラー化推進の代表的番組でもあったが、なによりも「良心的番組」の代名詞的存在で、全国のPTAや主婦連合会あたりから推薦のお墨つきが付くといった具合であった。このコンセプトは、そのまま東京ディズニーランドまで徹底して継承されることになる。
   
 
■休みなく遊び続けろ!
  ウォルト・ディズニーが「タフな男」と呼ばれたのは、その仕事のスタイルに起因している。彼はすでに十代半ばから、イラストレイター、デザイナー、プロデューサー、ディレクター、さらに声優からMC、そしてもちろん社長業も兼務して走り続けたのだ。その活躍ぶりは文字通り一分一秒を惜しむという忙しさで、だからもちろん食事にゆっくり時間をかけるようなことはない。彼にとって、最も“望ましい食事”は、ファースト・フードであったのだ。片手にホットドッグ、片手にコカコーラ──まるでベースボール観戦のようなスタイルが、彼の仕事現場でのスタイルであった。
 ウォルトは、元々食事にはこだわらない男であった。彼の語録にその片鱗が見える。
 1918年、ウォルト17歳。軍隊へ入隊し、フランスへ行くときのことだ。
 「ふかふかのクッションも大きな羽布団のベッドもいらなかった。どこで食事しようとかまわなかった。……何事も経験だった。」
 日本の高度成長期を闘ったいわゆる「企業戦士」たちと共通するものがあるようだ。しかもこの傾向は、食事に時間をかけないというアメリカ人の“伝統”にぴったりあてはまる。
 ウォルト当人がホットドッグを囓りながら仕事をしたように、ディズニーランドでも休みなく遊び続けることができるよう、飲食は「簡潔」を基本としている。すなわち、ファースト・フードの思想である。
   
 
■ディズニーに学ぶ集客動員戦略
  ところで、ある博覧会の広報ディレクターを私が務めた際、集客・動員の戦略をディズニーランドに学んで成功を収めることができた。今から数年前のことだが、すでに「博覧会」という手法は古びてしまって時代に合わなくなっており、そう簡単に人は集まらない。これは実は全国各地のテーマパークや遊園地に共通す悩みで、もはや小手先のアイデアや少しばかり刺激的な遊具くらいではもはや飛躍的に入場者を増やすことは見込めない。なにしろ現在の日本には、他に「楽しい場所」も「楽しいこと」もたくさんある。はるばる足を運ばせるだけの理由がなければ、もう人は来ないのだ。
 しかしそんな状況で、ディズニーランドだけは“ひとり勝ち”である。
 なぜか? 何が違うのか?
ディズニーランドも、テーマパークであり遊園地ではないか。しかも、特に高度な遊具がある訳でもなく、むしろ古風な遊園地といった設定で、奇抜な仕掛けなどはほとんど期待できない。
 ところが、ここにディズニーランドの最大の武器が潜ませてあるのだ。
 ディズニーランドは、実はテーマパークでもなく遊園地でもなく「教育施設」なのだ。
 たとえばレストランの建物の柱でさえ、一本一本に意匠が凝らされており、歴史や文化の由来がある。それは、何の時代の、何民族の、何文化の柱である、というように。
 そしてその「学習」のための分厚いマニュアル(教本)が完備されており、学校の教師たちのためのセミナーもおこなう。
 だから、ディズニーランドは「教育委員会推薦」の教育施設となり、校外学習や修学旅行にバスを連ねて団体でやってくるのである。
 これがもし一般の遊園地などであったなら、そこはただの「遊ぶ場所」なのだから、生徒を引き連れて学校行事として行く訳には行かない。これが、ウォルト・ディズニーが考えた戦略である。
 ディズニーランドの原型は万博にあったが、今や立場は逆転している。産業博覧会として一時期隆盛をきわめた博覧会が、産業だけでは人を呼べなくなり、その方法をディズニーランドに学んでいるのだ。
 
■ I R戦略
 ウォルトの戦略は、株主対策にも徹底されている。いわゆるIR=Investor Relationである。
 ウォルト・ディズニー・カンパニーの株主になると、どこの企業でもそうであるようにウォルト・ディズニー・カンパニーからも株券が届く。写真のように、ウォルトを囲んでお馴染みのディズニー・キャラクターたちが躍動するカラフルなものだ。株券としては異色だろう。
 しかしこの株券が、ディズニーの経営基盤をしっかり支える“魔法のペーパー”になるのだ。
 たとえ一株株主であっても、株券には本人の名前と住所が刻印されて、CEOの署名入りで自宅へ届く。アメリカではお気に入りの株券を額に入れて飾れるようにすしてくれるサービスがあるのもうれしい。
 どうです? あなたも欲しくなりませんか?
 私も一株株主で、自宅の壁に絵画のように掛けてあるが、これを毎日目にすることによるアイデンティティへの影響は決して小さくない。
 たった一株のために四色刷りの株券を発行するというのは、いかにも効率が悪そうだ。券面の発行だけでなく、以後半永久的にアニュアル・リポート(営業報告書)を毎年決算のたびごとに送付しなければならず、株式配当も、どんなに少額であっても送金しなければならない。
 こんな手間のかかることをして、はたして報われるのか?
 しかし実は、これこそがディズニー戦略の一環なのだ。ディズニー・ファンにとって「株主」になっていることがどれほどうれしいことか。しかも、株券で日々確認できるのだ。だから、この人たちはディズニーの永続的な顧客になる。「また、行こう」と思うし、映画も見よう、キャラクター・グッズも買おうと思う。つまり「永続性のあるファン」(リピーター)を確保するという訳だ。ウォルト・ディズニーという人物はただの「オタク」ではなく、企業家としても一流の「戦略家」である。
 
■ TV番組で刷り込まれたアメリカン・ライフ・スタイル
  TV番組「ディズニーランド」と同時期に、ホットドッグもハンバーガーも私たち日本人に馴染みとなった。アメリカ産のTV番組全盛期の昭和30年代である。放映開始年で主なアメリカンTV番組をみてみよう。
 1956(昭和31)年 スーパーマン
 1957(昭和32)年 アニーよ銃をとれ/アイ・ラブ・ルーシー/ヒッチコック劇場
 1958(昭和33)年 ローン・レンジャー/パパは何でも知っている/ディズニーランド
 1959(昭和34)年 ベティちゃん/珍犬ハックル/ポパイ/ローハイド
 1960(昭和35)年 ミステリーゾーン/ララミー牧場/フィリックス君の冒険/サンセット77/ライフルマン
 1961(昭和36)年 パパ大好き/おとぎの国/アンタッチャブル/ちびっこギャング/怪傑ゾロ/保安官ワイアット・アープ/ウッドペッカー
 1962(昭和37)年 ブロンディ/ベン・ケーシー/87分署/コンバット/じゃじゃ馬億万長者
 1963(昭和38)年 ギャラントメン/ルーシー・ショー/3バカ大将/ハワイアン・アイ/どらねこ大将
 1964(昭和39)年 バークにまかせろ/ブラボー火星人/トムとジェリー/逃亡者/ダニー・ケイ・ショー


 西部劇が何本か入っているが、大半は現代劇とアニメである。これらの影響は強烈で、同時代の日本の子どもたちは、“幸福なる”アメリカン・ライフとともに、これからの平和な生活にはコカコーラとホットドッグ、ハンバーガーが付き物なのだと刷り込まれた。
 ところが“現物”はなかなか入手できなくて、それがさらに渇望感を増幅させて、ついには憧れになってしまったのは哀しい現実であった。まだマクドナルドもコンビニも影も形もなかったから、私たち子どもにはそれがとてつもないご馳走に思えたのだ。
 
■ ホットドッグはファースト・フードのホームラン王
 ところで、ホットドッグはなぜ「熱い犬」なのか。
 フランクフルト・ソーセージの短いものを、その姿形からダックスフント・ソーセージと呼ぶのだそうで、これを熱々に焼いてパンに挟んだところから、ホットなドッグになったようだ。これだけ単純な料理だから、さほど厳格な定義がある訳ではなく、ソーセージ自体の取り扱いも焼くだけに限らず、茹でたり揚げたりして加熱したら、炒めたタマネギと共にパンに挟めば良い。あとは好みでチリソースでもマスタードでも自由である。コンビニのアメリカン・ドッグのように、串刺しのソーセージをホットケーキの衣で被って揚げたものに、マスタードとケチャップのツイン・ソースをかけるものもある。これを“邪道”という意見もあるが、ホットドッグは元来それほど厳格な料理ではない。好みの取り合わせで人の数だけバリエーションもあるのだと言ってもいいのではないか。
 たとえば、ビールやコークとともにかぶりつくのは野球観戦に最適ということもあって、アメリカ各地の野球場では、それぞれに特徴を出したホットドッグが定着してご当地名物になっている。ホームチームの応援には、絶対に欠かせない! 逆転ホームランでも出た瞬間には、あちこちでコークやケチャップが飛び散っている。
 さてその結果、アメリカ人は一人あたり年間約60本を消費しているという。“アメリカの国民食”とまで呼ばれるハンバーガーが約20個であることを思えば、驚異的な数だ。知らぬ間に国民にまんべんなく浸透して、中毒(リピーター)になっているのは、さながらディズニーランドのようではないか。
 
(第10回了)
 
赤塚不二夫   ■ウォルト・ディズニー・カンパニーの株券。
ウォルトを囲んでディズニー・キャラクターたちが躍動する。
 
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ウォルト・ディズニー
(Walt Disney、本名ウォルター・イライアス・ディズニー(Walter Elias Disney)、
1901年12月5日 - 1966年12月15日)



ウォルト・ディズニーは、アメリカ・イリノイ州シカゴに生まれた漫画家、アニメ製作者、映画監督、実業家。
  世界的に有名なアニメーションキャラクター「ミッキー・マウス」の生みの親として知られる。
  ウォルト・ディズニー・プロダクション(後のウォルト・ディズニー・カンパニー)を作り、アニメーション映画だけではなく、実写映画や特撮なども作成する。作風については、作品の多くが当時流行していた映画のパロディや童話、古典名作のアレンジであり、完全に新しい物語はほとんどなかった。また、TVのディズニーアワーには自ら出演し、司会を行なっていた。さらに、ディズニーランドを開設し、現在まで続く多面的な経営の基盤を作った。
  第二次世界大戦後吹き荒れた、ジョセフ・マッカーシーの「赤狩り」の嵐に巻き込まれ公聴会に出頭し、「ソ連に『三匹の子ぶた』(1933年)を売ったことがある。非常に好評だった」と証言している。最終的にはシロだった。
  初期の映画ではウォルト自身がミッキー・マウスの声優を演じていた。
  鉄道マニアとしても知られており、彼が作った夢の国(ディズニーランド)には必ず鉄道が走っている。
  彼はかつてディズニーランド開設前にこう語っていた。「いつでも掃除が行き届いていて、おいしいものが食べられる。そんな夢の世界を作りたい。」無論これは現在のディズニーランドの土台となっている大事な思想であり、現に他のテーマパークでは何の変哲も無く片付けているゴミ処理も、ディズニーランド内ではまるで掃除も1つのショーであるかの如く優雅に行われている。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア』
 
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