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  美食の国から    
 
  ヨーロッパ美食の国から
東洋の日出ずる国≪ジャポン≫へ、
フランス人シェフの日本における
ダイナミックな活動とその人柄、足跡を追った。
   
 
 
   
 
   
 
 
★Pathisserie Cacahouete Paris
パティスリー・カカオエット・パリ
 
 
 
  ジェローム ケネルさん

 
   
 
 
≪ シ ブ ヤ ≫
 

■ケーキ「シブヤ」
『日本が好きです。東京の街が大好きです!』
フィアンセ貴子さんと、渋谷の街を初めて歩いた。そこは、若者の自由なファッションが空間に彩りを与えている街であった。モヒカン、パンクルックの青年とすれ違った直後、目の前に飛び込んできたのは、艶やかな着物姿の女性であった。不思議な街での衝撃は、感動となってフランス人青年の心に残った。
そんな渋谷の街からインスピレーションを得て、作ったケーキ「シブヤ」、ケーキの表面を二つに分けて、片方は、キャラメルノワゼット、フランス伝統の素材で、日本の伝統、着物姿の女性を表現した。もう片方は、レモンのクリーム、レモンの黄色、酸味、刺激で、奇抜な服装の若者を表した。

   

ケーキの中身は、どちらも同じで、ビスキュイ生地にレモンのクリーム。それは、多様なファッションの若者達が同じスペースに混在しているという意味だ。そして、ケーキの中央に、モヒカンを象ったチョコレートを添えた。
パティスリーを構えた「ナカメグロ」から始まった、“街をテーマにしたケーキ”は、「シブヤ」、そして「ギンザ」へと続く。

 
 
 
 

ジェローム ケネル、27歳、パリの最高級ホテル≪プラザ アテネ パリ≫にて、シェフパティシエ、クリストフ ミシャラク氏のもと、セカンドを努めていた。日本が好きで、日本で仕事がしたくて、フィアンセ、貴子さんと共に、昨年(2006年)7月来日、12月にパティスリー≪カカオエット パリ≫を目黒区東山にオープンした。

 
 
 
 

■お菓子が好きです!『トゥールダルジャン』よりも『ラデュレ』
パリ郊外で生まれ育ったパリジャン、『チョコレートで育てられました(笑)』部類のチョコレート好きの父親の影響で、小さい時から、チョコやお菓子が大好きだった。 しかし、なぜか、16歳で目指したものは、料理。エコールオートリエール(ホテル従業員養成所)では、料理を専攻する。2年間の学校で、3ヶ月の研修をした。研修先は、フランスのグランメゾン、二ツ星レストラン≪トゥールダルジャン≫であった。贅を尽くしたレストラン、沢山の料理人が働くキッチン、フォアグラやトリュフ、豪勢な料理は、若いケネルにとって、別世界の体験であった。
そこで、最もケネルの興味を惹いたもの、やはり、それは、≪トゥールダルジャン≫のお菓子であった。もともと、好きなお菓子、≪トゥールダルジャン≫のデザートに触れ、進路の変更を決めた。
それから、週2日、料理学校でデザートを専攻し、残りの日は、レストランやパティスリーで研修をした。学校は2年間、最初の1年間は、二ツ星レストラン≪ヴィヴァロア≫で、レストランデザートの研修であった。
そして、次の1年間の研修は、フランスで最も人気のあるパティスリー≪ラデュレ≫であった。大量のお菓子を作り出す広いラボは、沢山のパティシエが働いていた。24時間体制で、作業毎に、いくつもの部署に分かれていた。
普通、作業が分担されたラボであれば、ひとつの部署はやれても、他のことが学べない。しかし、≪ラデュレ≫は違った。2ヶ月毎に、部署の交代があったのだ。1年間の研修でケネルは、全ての部署を体験できた。研修生のケネルにとって、そこは、優れたお菓子をつくるパティスリーであるとともに、優れたパティシエを作る学校でもあった。短期間で、最大の経験が積める魅力のパティスリーであった。

 
 
     
 

■大事なのは経験、師を求めて
研修が終わったケネルは、3ツ星レストラン≪リュカ・カルトン≫にて、ドゥミ シェフドパティシエ(部門補佐)として、デザートを受け持った。3週間後、シェフドパルティー(部門長)となり、3ヵ月後、シェフパティシエ(製菓長)の不在に伴ない、そのポストを懇願された。3ツ星レストランでのシェフパティシエのポスト、21歳のケネルにとって、それは、大きな挑戦であり、稀有の経験となった。しかし、それと同時に、若くしてトップに立ったケネルは、新たな経験を欲した。
若い年代が必要とするもの、それは、最大限の経験であり、それを導き、指導してくれる師の存在であろう。一年後、ケネルは、新たな経験と師を求めて、次のステージへと進む。 パティスリー≪ピエール・エルメ・パリ≫のオープニングスタッフ、シェフドパルティー(部門シェフ)を経て、パリの最高峰ホテル≪プラザ・アテネ・パリ≫に職を得る。 ドゥミ シェフ(部門補佐)として入った、≪プラザ・アテネ・パリ≫、4ヵ月後には、シェフドパルティ(部門長)、更に、9ヵ月後には、シェフパティシエ、クリストフ ミシャラク氏のもと、セカンドを努めるようになった。 ケネルにとって、シェフパティシエ、ミシャラク氏との出会いは、最大の幸運であった。 『ミシャラク氏は、芸術家であり、完璧主義、そして寛容な人です。彼は、自分の持っているレシピや経験、技術は隠すことなく常にオープンにしていました。やる気のある人に対しては、惜しみなく全てを与える人でした』
≪プラザ・アテネ≫では、パティシエ全員が、レシピや技術を共有していた。 “一人の成長が、チームを強める”という考えが浸透していた。
『プラザアテネでは、4年間働きましたが、それは、他で働く10年分に値しました』
ミシャラク氏から得たものは、大きかった。技術やレシピだけでなく、それは、ケネルの理想のパティシエ象にまでになった。
『レシピは大事ですが、発想や創造性、そしてそれを可能にするテクニックは更に大事です。同じレシピでも人々をびっくりさせたり、興味を惹いたり、その為には、ただ、働くのではなく、常に、考えること、新しいものを生み出し続けることが大事ですね。私にとって、お菓子は自己表現です。日本の方に喜んでもらえるお菓子を作っていきたいですね』

   
 
     
 
     
   
 

■大好きな日本で新たな挑戦
貴子さんとの出会いは、≪ラデュレ≫で研修をしていた時、しかし、そこでは、部署が違っていたため、ほとんど話すことは無かった。その後、≪ピエール・エルメ・パリ≫で再会することになる。そこでは、一緒にマカロンを作った。
二人で日本を旅行した。フランスとは、違う文化、日本人、日本の料理、天候、そして東京の街並み、全てが気に入った。フランスに帰った時、心に残ったひとつの思いは、『もう一度、日本に行きたい』ということであった。
そして昨年、『お菓子屋さんを開く』という貴子さんの夢は叶った。
ケネルが大事にしている言葉が、ケネルの人生を端的に表しているように思えた。
“自分の出来る事は知らない、やりたくないことは知っている”
ケネルは、興味の赴くまま、料理、デザート、お菓子とスライドするように、自分の道を探り当てていった。そして、今、日本で、新たな挑戦。
『“今の思い”で進んでいる限り、それは、自分の道を進んでいるのだと思います』
大好きな日本で、貴子さんと、二人三脚の戦いは始まった。

 
   
   
   
   
   
   
   
  ★シェフの一皿
   
 
 

一番下は、オレンジジュース、その上には、クリームシャンティと栗のクリーム。オレンジジュースに浮いたモンブランのようなカップケーキ。

   
 
   
  (第24回了)
   
  取材・文/馬場雅教
   
 
         
 
  Pathisserie Cacahouete Paris
パティスリー・カカオエット・パリ
東京都目黒区東山1-9-6
TEL03-5722-3920
http://www.kangaerupan.com/contents13/page021.shtml
         
   
 
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